2月11日 玉松

『玉松(ぎょくしょう)』
昭和45年に千代田羅紗の大家、福島県いわき市の熊谷善幸氏が作出。
榊原八朗氏が命名し、初期に棚割りされた袖山功氏とともに昭和60年に登録。
初の完全な羅紗地と芸を備えた千代田羅紗として大きな話題になった。
「玉松」が作出される以前、千代田羅紗というものは実生家にとっては夢のまた夢で、「松の誉」を使うなど試行錯誤されてきたが、芸をしない和羅紗ものばかりで本格的な芸をした羅紗千代田は無かったという。
熊谷氏は始めから千代田羅紗を作出することを目的として松谷千代田に「晃明殿」や「四海波」などを交配し、その中から千代田縞甲が生えたという。その後、西山氏のF1に松谷千代田を交配するという方法をとるようになり、その時に「玉松」が誕生したらしい。その後、同じ交配を繰り返しても千代田羅紗は生えなかったというのだから、色々な運命が重なっての誕生だったのだろう。
現在でも「玉松」は千代田羅紗の登録品としては銘鑑の最上段に位置し、芸、斑、品格ともに文句なしで千代田羅紗のトップに君臨している。

今、千代田羅紗は人気がないようです。
「紺覆輪で表面が見えなくなるから」「供給されるような生えを買っても水準の高いものになる可能性が低い」「取引値が高すぎた反動」「千代田系は羅紗である必要がない」「業者が悪い」など様々な意見があるようですが、私はその頃のおもと界を全く知らないのでなんとも言えません。
なので、私個人としての千代田羅紗に対する見解を述べます。
 まず、千代田斑というのは他の「砂子斑」「矢筈虎」などに比べて遺伝する率が低く、斑の優劣が大きいので斑のきれいな物は斑物としての価値はかなり高いと思います。
 次に、千代田系というのは紺性が強く、照り地になりやすいというところが特徴だと言えます。私の感覚では地合い、特に羅紗系は艶消し地というのが一番高い評価だと考えるので、千代田羅紗は照り地を克服することが第一で、その上で芸が良くなくてはならないと思います。
地と芸の良い千代田羅紗は作り込む程に表面が紺覆輪に覆われ、地が浮き出て芸が鮮明になるので、私のような青を好んで作るような変わり者としては千代田斑がチラッと見える分、千代田羅紗はたまらなく良いのです。平葉ではなく熨斗が絡めば離れて観た時にしっかりと千代田斑を確認できますし。「寿松」の斑の飛んだものなんて見るとかなり水準が高いと思います。
 つまり、千代田羅紗の芸の良いものは斑を見ようとするのではなく、地と芸を見て、微かに見える千代田斑を楽しむのだとすれば羅紗として作る価値はかなり高いと思うのです。
 ただ、価格的な価値としては縞羅紗の覆輪ものと比べると若干低いのが妥当ではないかなと思います。もちろん玉松のように斑まで鮮明に確認できるものは別ですが。

コメント

  1. しっかりとした価値感を持たれてますね。私はとにかく千代田系は斑が命と思ってますよ。
    羅紗千代田はあまりお目にすることがなく、しかも斑の鮮明なものは玉松しか見たことがありません。そういった意味でも玉松は羅紗千代田の中でも最高傑作品なんでしょうね。作ってみたい~!

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  2. 万葉さん
    確かに千代田斑がきれいなのことが一番ですよね。
    千代田羅紗人気を盛り返すには違った見方を見つけるというのも一つの方法かなと思って書いてみました。
    私も一度くらいは「玉松」を作ってみたいです。

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